大学生の時ぶりに京都へ旅行をしてきた。
大学生の時は青春18切符で、埼玉を始発の4時だか5時台に出発して14時頃に大阪に到着、みたいな若さでなんとかなった行動をしていて、その大阪の翌日に京都に行った。たしか。
だから観光前からちょっと疲れていたし、旅の仕方もTHE観光地を巡るみたいなのだったから全般的にバテていた。
それ以外だと中学校の時の修学旅行で行ったくらい。あれもTHE観光地巡り。
清水寺と金閣寺だったかどこかのお寺を回ったのと、坂道を歩いてたときの人混みがすごかったなぁというのと、そのあたりでよーじやのあぶらとり紙を買ったなぁ、みたいなふんわり記憶。あと象嵌の体験をやった。これも記憶はふんわり。
どちらも京都という土地への旅行を楽しんだというよりも、人と一緒に過ごすことが目的だった。
これまではそんな感じでしか行ったことのなかった京都へ、今回はちゃんと自分で選んで歩きまわってきた。
なんだろね、あの頃の旅行の仕方ってスタンプラリー的な感じでしかなくて、観光地をピックアップしてルートを決めていただけで、そこに大して自分の興味というものがなかった。やり方や調べ方を知らなかったというのもあるし、そもそも何にも興味がなかった。
教えてgooって質問サイトで「興味が湧かない」とか「趣味がない」「空虚感」とかに関することをよく検索していたのが懐かしい。
質問サイトでの回答で多かったのはたしかとにかく行動してみろ的なものだったと思うけど、当時は「行動してるよ。やってみても結局疲れちゃうだけで何にもなってないから悩んでるんじゃん。」ってもやもやとしていて、出口のなさに絶望というか、この先もこれがずっと続くのは嫌だな、早く終わりたいみたいなことをよく感じていた。
そんな大学生の頃の悩みも気づけばだいぶまろやかになっていて、まだどちらも消えてはいないけど、それでも生きやすくなってる。
今から見ればたしかに「とにかく行動してみろ」は正解ではある。動いてみて経験してみて合う合わないを繰り返したから今のこの感じにたどり着いた。
でももう少しアドバイスとしてあったらよかったと思うのは、別にそれをひとりでやろうとしなくてもいいんだよ、ってこと。
物事に興味が湧かなくて他者に依存的なことが悩みだったから、ちゃんとひとりで自分自身が興味を持てることを見つけないといけないと思ってた。でもそうじゃなくて、動機は他者でもいい。人と一緒に過ごす、コミュニケーションツールとして物事を使うことがきっかけでも問題ない。それは悪いことではない。
写真も、バイクも、ゲストハウスも、旅も、キャンプも、本屋も、どれも自分ひとりじゃ今のように好きになれてなかったと思う。コミュニケーションツールとして、人と関わりたくてはじめていて、それらが徐々にだけど自分の中での有り方が変わっていってる。
今でもコミュニケーションツールとしているところは変わらずあるけど、同時にその物事自体への興味や心地よさはじわりじわりと湧いてきている。
熱量の多い人を目にするとつい比較しちゃって、そんな思いは自分にはないなぁと寂しいような気持にはなるけども、だけど比較対象を学生の頃の自分にしてみると好きだと思えるものがずいぶん増えたなと嬉しくなる。ちゃんと好きだ。好きだと思えるものがあると生きるのは楽しいんだな。
京都旅行の日記を書こうと思って書き出したらだいぶ脱線してしまった。
今回の旅行では歩いていて心地のいい空間と、気になっていた本屋さんのあるエリアを選んで行ってきた。それがちょうど京都駅からすっごく西の方と、すっごく東の方だったから大移動。絶対普通の観光では提案されないような旅程。でもとっても楽しかった。
次回、その話を書くね。