自分に自信がなかった。
おどおどしている様子を見て「なんでそんなに自信がないの?」「もっと自信を持って」と言われることもあったけど、「何でと言われてもないものはない」「自信を持てるなら持ちたいけど、自信を持てる根拠が私にはない」って思ってた。
逆に聞きたかった。
なんで自信を持てるの?なんで自分を肯定できるの?
自分を肯定できるような要素が私自身には見当たらない。
自己評価がめちゃくちゃ低かったし、高くできる理由も見つけられなかった。
だけど自信が持てないことによって打たれ弱かったり、落ち込みやすかったり、他者も自分も否定してばかりだったりで、自信を持てるように変わりたかった。
今はちょっと調子に乗れるようになって、こう、心を安定させてくれている何かが心の芯にある。
重りみたいな感じで、ぐらぐらしやすい心を、少し揺さぶられることがあっても元のところに戻してくれる。
これが自信ってものなんだと思う。
これを作ってくれたのは間違いなく他者だ。
自分では自分をどうしても肯定できなかった。
承認欲求っていうとなんだか悪いことかのように言葉が扱われているような気がするけど、わたしは他者からの承認で自信をつけることができた。
それもずっとずっと時間をかけてようやく染み付いたような感じ。
褒め言葉が最初は受け入れられなかった。
「でも他の人の方がもっとできるしなぁ」とか「褒めてもらえたけど、他はダメなところだらけだし」とか、どうしても否定の言葉を乗せてしまう。
それが段々と言葉そのままで受け止められるようになった。
それは何度も何度も肯定の言葉を伝え続けてくれた人たちがいるからだ。
写真やイラストみたいな自分の作ったものに対して、
行動したことに対して、
考え方に対して、
わたしのいろんな部分を肯定してくれた。
自己否定の癖を変えられるほどの影響力があった。
自己肯定感って大人になってからでも得られるんだ、ってすごく嬉しい。
自分に自信がない人は、もっと表に「自分」を出してみてもいいと思う。
きっと傷つき易いからさらけ出すことで否定されたら心がもたなくなるかもとこわいかもしれないけど、ちょこっとだけ頑張れ。
否定してばかりの自分の世界より、外の世界は意外と優しい。
防御服のない状態でいるのはめちゃくちゃこわいけど、そんな素の姿でいて肯定をされたとき、自身の中になにかが湧き出てくる。
少しずつそれをためてためて、いつか重りになり、自信になる。
人の肯定の言葉に救われた。
だからわたしも「いい!」って思ったら思っただけじゃなくてどんどん伝えていこうと決めた。
なんでもかんでも褒めるんじゃなくて、「いい!」って思ったときだけだけど。
でもだから言葉には意味がある。重みがある。